フィレンツェ

多様なルネサンス像 – 樺山紘一『ルネサンス』(1993)

フィレンツェ

樺山紘一『ルネサンス』(1993)

近代性の裏に隠れたルネサンスの異なる側面

 人間中心主義と合理主義的精神———
 14世紀は、古典文芸の復興の時代であり、中世的な宗教的盲目から解放された時代だ。この時代はのちにルネサンスと名付けられる。

 19世紀中葉にミシュレーとブルクハルトによって作り上げられた「ルネサンス」という歴史の見方に対して、20世紀になるとフランセス・イェーツなど、従来のルネサンス像に対して異なる歴史の見方を提示する試みが行われるようになった。
 そこでは特に中世との連続性が注目された。アメリカの歴史家C・H・ハスキンズは14、5世紀のルネサンスに先立つ12世紀にルネサンスと同様の歴史的運動があったとして「12世紀ルネサンス」を提唱した。

 暗黒と呼ばれた中世に対して光が当てられる一方、ルネサンスに対しては、ペストの流行による死への恐怖、新プラトン主義や錬金術、狂信的な魔女狩りなど、その近代性の背後に色濃く残っていた暗い影が注目された。

 本書もそうしたルネサンス像の転換という学問の流れを追っている。近代の曙としてのルネサンスではなく、主にルネサンスにまとわりついた非近代性に焦点を当てている。

ルネサンスの始まり

 1550年、フィレンツェの建築家ジョルジョ・ヴァザーリが、『イタリアの至高なる建築家、画家、彫刻家たちの生涯』という書物を出版した。ヴァザーリは、中世のキリスト教建築をゴシックと呼び、1250年頃からイタリアのトスカナ地方を中心に古代ローマ風の建築を復活させる試みが現れ始めたことを指摘している。この書物は、当時のイタリア人の中に「古代復興」の意識があったことを物語っている。

 1348年には、ローマで古代ローマの栄光を復興しようとする政治運動も勃発している。当時南フランスのアヴィニョンにいた法王をローマに連れ戻そうとする運動だった。首謀者の名をとって、リエンツォ事件と呼ばれる。
 ローマ法王庁は15世紀になってローマに帰還する。そして、法王ニコラウス5世は、1450年キリスト教の式年にあわせて、古代建築に倣ったローマの都市改造を行った。この二つの出来事は「古代都市ローマ」の復興をローマ市民に強く印象付けることになった。

 古代ギリシア文化の復興もまたイタリアで始まった。1394年、クリュソロラスという聖職者がビザンチン皇帝より派遣され、ローマを訪れる。もともとイスラムの脅威に対する救援を求めるための来訪だった。この来訪はイタリア各地に西欧文明への防衛意識とギリシア熱を生む。
 ビザンチン帝国の公用語はギリシア語であり、ビザンチン文化を守ることと古代ギリシア文明の復興は同じようにして受け止められていく。14世紀末からは、オスマン帝国の軍事的圧力によって、ビザンチン帝国から多くの学識者が亡命するようになる。この亡命した多くの学者たちによって、古代ギリシアについての研究がローマを中心に進められていった。

 このような歴史的要因が、イタリアをキリスト教文化の束縛から離れた人文主義の中心地へと発展させていくことになる。しかし、この人文主義の発展には、それを支える要素と押し戻そうとする流れが交錯していた。

多様な姿としてのルネサンス

 1347年、南イタリアでペストが流行し出す。49年には一度収束するが、その後も断続的な流行が14世紀を通じて発生する。ペストの流行は、イタリアの人々に死の観念を強く植えつけることになった。それは、現世主義と個人主義を生む下地となっていった。
 また、イタリア商業都市には、商人的合理主義に由来する個人主義も存在していた。個人的な野心に基づく商業的冒険主義が、その一方で、リスクを管理するための保険、会社、簿記、手形、為替といった商業技術を発展させた。

 一方で、イスラムやビザンチン文化からは、占星術や錬金術についての知識が伝わってくる。それとともに15世紀後半、フィレンツェの哲学者フィチーノによって神秘主義のよりどころとなった『ヘルメス文書』が翻訳されヘルメス主義が広まる。彼はさらに『プラトン神学』を著し、新プラトン主義の流行を作り上げていった。

 こうしたさまざまな要素がルネサンス文化の背後にはある。このような合理的、迷信的といった相反するさまざまな要素が、ルネサンスの多様な側面を生み出している。
 歴史とは連続的なものだ。ルネサンスを境として、中世と近代が区分されるのではなく、中世から近代への移行は、時に逆行しながらも断続的に進展したはずだ。本書で取り上げられるさまざまな歴史的事実は、ルネサンスの持つ中世的な面と近代的な面の両面を照らし出している。

 本書は、ルネサンスの全体的な歴史像を描くといったような通史ではなく、ルネサンスにまつわる逸話を集めた断片集といった感じだ。ルネサンスのさまざまな逸話から、その多様な姿を描き出している。
 歴史の多面的な側面を浮かび上がらせていて、興味深い一冊。