NO IMAGE

神の存在証明とは? 中世と近世の狭間 – デカルト『省察』(1641)

デカルト『省察』(1641)

『省察』扉絵

近代合理性と神への信仰

Je pense, donc je suis. – cogito ergo sum

我思う故に我在り

 西洋哲学史の中でも、とりわけ有名なこの言葉は、近代理性の出発点であり、近代哲学の幕開けを告げるものだ。デカルトの思想は、この言葉とともに、近代的な明晰さの象徴として理解されている。

 だが、デカルトの『省察』は、一言で言えば、神の存在証明を試みた書物だ。神の存在を証明しようという極めて神学的な意図のもとで書かれている。ただ、デカルトの方法は、神学的な権威主義による神への理解ではなく、理性による神の証明だった。

 デカルトは、この議論が従来の権威、特に宗教的な権威に挑戦するものであることを十分理解していた。そのため、彼は、『省察』を出版する前に周到な準備をしている。自らの書物の意図とその思想へと至った思考の軌跡をあらかじめ前作の『方法序説』で説明し、不用意な宗教的反発を受けることを慎重に避けている。そして、自説に対する様々な反論、反発を見越して、あらかじめ自分へ対する反論を著名な知識人に書かせている。
 従来のキリスト教的、スコラ的な世界観に真っ向から反対する近代的な合理思想を主張するまでに、このような過程を経て、『省察』は出版されている。
 デカルトは自らの思想の革命性を十分理解していたのだろう。そのため、『省察』は、もともと理論的な論争を意図した書物だったようだ。

 現在、広く出版されている翻訳は、1904年に公刊されたアダン・クヌリ版(AT版)を底本としており、初版本から本論のみを取り出した形になっている。
 だが、初版本は、本論のほかに、自身の形而上学に対する他の著名な学者たちの反論とそれへの再反論をまとめた構成になっている。初版の『省察』は、自説への批判や反論に対する論駁を含めた浩瀚な書物だった。

 デカルトは、1637年に公刊された『方法序説』において、自説が論駁に値すると思う者はそれを知らせてほしいと反論を公募しており、『省察』第1版の公刊前に、メルセンヌが手配をして、カテルス、アルノー、ホッブズ、ガッサンディ、ブルダンなど当時の著名な学者に原稿を渡して反論をもらっておき、それに対しての再反論をあらかじめ付し、メルセンヌ自身も反論を書いた。このような経緯で、本書は、本文の他、反論とそれに対する答弁からなる。

省察 – Wikipedia

 すべての批判に対して、それを理論的に論駁していくこと。理性的な思考を限界まで推し進めて、絶対的な正しさを証明しようとすること。このような思考態度が、盲目的な信仰や権威主義的な神学による理解を退けて、近代的な理性的思考へとつながっていった。

 『省察』の前半で展開されるその徹底的な方法論的懐疑と数学的な演繹的還元主義は、まさに近代合理主義的な思考法の出発点となったものだ。そして、その方法論の確立に導いたものが「我思う故に我在り」という言葉で表される自己という認識主体の発見だった。

 だが、このようなデカルトの近代的な側面に光が当てられる一方で、この書物の本来の意図であった神の存在証明という部分は、現代では、ほとんど省みられなくなっていった。

神の存在証明とは何だったのか?

 神の存在を証明しようとするデカルトの試みは、神という絶対者の存在なしで思想を構築する現代にあっては、もはや過去の遺物のように見える。しかし、そこで展開されている理論は、今見ても非常に論理的なものだ。

 デカルトによる神の存在証明は、中世の存在論と近代の認識論が、接合される形で展開する。その意味では、デカルトの思想には、中世と近代の接点、あるいは転換点を読み取ることができる。

 まずは、デカルトの議論の前提となった中世スコラ哲学が何を議論していたのかを確認していこう。

存在者とは何か? – スコラ哲学における普遍論争

 中世哲学を代表する普遍論争は、「存在者」として存在するものは何かを争うものであった。
 われわれが普段、経験によってその存在を確かめることのできる存在は、すべてそれ独自の個別の存在であり、近代哲学の用語で言えば、「実存的」存在であって、決して「類」や「概念」として存在しているわけではない。
 だが一方で、われわれが存在を理解する際は、すべての存在は「類」あるいは「概念」として把握されている。

 たとえば、川の存在を考えてみよう。川には、常に水が流れ込んできていて、その水は決して同じものではない。絶え間なく新しい水が流れ込んでいるという意味で、川の存在は常に変化している。
 しかし、「川」という言葉によって、われわれは川の存在を同一性のある一つの存在として理解する。ここで川は水の流れの「集合」として理解されている。

 だとすれば、川という存在は、いったい何者なのか?こうした問いは、「万物は流転する」と言ったヘラクレイトスの頃より哲学の主題となってきた。

 常に変化する存在の背後には、イデアが存在していて、そのイデアの存在のおかげで、われわれは、常に変化する存在を同一性のあるものとして把握することができる。そう説いたのはプラトンだ。以降、古代から中世を通じて、イデアは感覚的、経験的に知りうる物体的存在と同じように、存在者としての「存在的資格」を与えられることになった。

 『省察』においてもデカルトの問題意識は、同じところにある。たとえば、彼は蜜蠟の事例を執拗に出してくる。蜜蠟は、色、形、硬さのすべてが容易に変化する。感覚によって捉えられる蜜蠟は、決して同一のものではない。川の水と同じように常に変化する存在だ。それにもかかわらず、蜜蠟という同一性を与えているものとは何なのだろうか。蜜蝋という明晰な認識は、何を根拠として成立するのだろうか。結局、ここで問われていることも、変化する実体の背後にある同一性とは一体何かということである。

 「類」や「概念」があるからこそ、一つの存在を同一性のあるものとして認識することができる。では、この「類」や「概念」は、実際に我々が見て触れることのできる「モノ」とどう違うのか?同じように存在しているものとして扱っていいのか?
 「類」や「概念」といった形而上の存在者は、現実に「モノ」として存在している形而下の存在者と同じ存在的資格を持つと言っていいのか?

 「存在」「存在者」「存在的資格」。。。と、まぁ、ソンザイ、ソンザイと話がややこしくなってくるが、要は「類」や「概念」が、その他の物理的な「モノ」と同じように、存在しているものとして扱っていいのかが問われていた。

 このように、この世に存在しているものとは何か、を問う学問を存在論と呼ぶ。古代以来、哲学の議論の中心になってきたのはこの存在論である。

 ―――この世界に「存在者」として存在しているものとは何か?

 この「存在者」について、中世の普遍論争では、二つの立場が対立した。存在しているものとは、形而下の「モノ」に限らず、形而上の「観念」も含むと考えたのは実在論 (Realism) の立場である。それに対し、「類」や「概念」など形而上の諸々の「観念」は、人間がものを考えるために作り出した名前にすぎず、存在者とは呼べないと考えたのは唯名論 (Nominalism) である。

デカルトの認識論的転回

 デカルトはこの古代以来の存在論の議論にまったく新しい観点を持ち込んだ。彼は、その方法論的な懐疑によって、人間にはまず何が認識できるかを最初の問題とした。つまり、存在論の前に認識論的な問題意識を持ち込み、その解決を試みた。

 デカルトは、まず、経験的に知りうる知識は、見間違い、勘違いなど、誤認の可能性が常に排除しきれないため、理性的な認識の信頼には足らないとして除外した。そして、数学的な概念によって知りうるものこそが、正しい実在だとした。

 このようにデカルトの認識論では、理性が実在証明の最も信頼に足る道具として据えられた。そして、イデアの世界こそが実在であると考えたプラトンと同じように、彼もまた形而上の「観念 (idea)」を「モノ」と同じ存在者として捉えている。ここには、理性偏重の思考態度が窺える。そして、その上で、理性による「神の存在証明」を試みる。

 われわれが認識の誤りを知るためには、「完全」という概念の存在が必要になる。そしてわれわれが完全性を認識し、「完全」という概念を把握できる以上、それに対応する「完全」という存在者がいなくてはならない。その「完全」という存在者は神でしかありえない。よって神は存在する。―――証明終わり。

 なるほどというか、何かだまされたような。。。現代人からすると、何か言葉のトリックにひっかかっているかのような気分だ。だが、中世の普遍論争が互いに自らの説を証明する手法をなくして行き詰っていた時に、認識できるものは何かという認識論的観点から答えを導こうとしたデカルトの方法論は革命的なものだったと言える。

 「認識できる」ということと「存在している」ということの間には、絶対的な隔たりがある。デカルトの神の存在証明は、認識と存在との間の不明瞭さから来ている。現代の哲学では、そこに、存在論と認識論の安易な接合の誤りを指摘するだろう。

デカルト的懐疑論から近代の認識論へ

 デカルトの懐疑論は、何が存在するのかを問う前に、われわれには何が認識できるのかを問題とした。

 デカルトの後、近代哲学は存在論から認識論へと移っていく。古代以来人間の認識能力は基本的に疑われることはなかった。「認識されるもの」と「存在するもの」との間に隔たりがなかったと言える。だが、デカルト以降、存在と認識は峻別され、人間の持つ認識能力の証明へと主題が変化する。

 「存在者」の存在が問われなくなった現代では、デカルトの神の存在証明は、試みそのものが無意味なもののように思えてしまう。しかし、そこにある「存在への問い」「認識能力への問い」は、哲学において普遍的な主題だ。現代においても哲学が論じていることは、言葉が異なるだけで、結局は同じことの繰り返しに過ぎないとも言える。

 デカルトにしろプラトンにしろ、理性的な思考を極限まで推し進めると、実在を超えた形而上的世界観を展開することになる。デカルトが神は存在するといったように、形而上的世界観を実在のように扱ってしまう思考的態度は、実は人間が陥りやすい誤りの一つだ。
 このような理性偏重は、近代哲学にとっての躓きの石となる。しかし、これが問題となるのは、デカルトの時代よりももっと後、20世紀になってからの話だが。

 古典というものは侮れない。一見、時代錯誤に見えるような問いの中にも、普遍的な問題が隠れている。逆に言えば、人間の考えることなんて、大して変化しないということなのかもしれない。

 デカルトがなぜ神の存在証明を試みたのか、その証明は一体なんだったのか、それを現代において考えてみることも、決して無駄なことではないだろう。