読書亡羊

気ままに読書、気ままな読書日記

外山滋比古『思考の整理学』 (1983)

*蓄積する知識から創造する知性へ
 初出は1983年(文庫化は86年)。InternetやPCが一般化するずっと前の作品。

 著者は、すでに本書で、博覧強記といった知性の型は、computerの登場で全くその価値を失った、と述べている。情報化時代といった言葉が話題になり始めていた頃だ。

 確かに、情報技術が発達した今では、記憶といった作業は外部装置に任せて頭への負担はなるべく減らしたほうがいい。先週2000円で買った中国製SDカードですら32Gある。自分の記憶力が、この安物中国製SDカードに勝てるとは思えない。記憶力ではすでに情報技術にかなわない。

 本書の要点を一言でまとめれば、知識の蓄積のために整理が必要なのではなく、知識を創造するためにこそ整理が必要ということになる。
 情報技術は知識の集積と複製、検索を容易にしたが、創造的な知性までをも可能にしたわけではない。創造的な知性は、人間の知的活動の本質的なものとして残り続けている。人間がすべきことは、知識を蓄積することではなく、知識を創造していくことだ。

 技術の進歩によって情報が氾濫する時代だからこそ、創造的な知性の希少価値は増している。その情報技術が取って代わる事が出来ない創造的な知性を得るためにこそ、思考の整理が必要だ、と著者は言う。
 知識が整理され、思考の道筋が明確になってくれば、自ずとそこから創造的な知性は生まれてくる。まとまりのない散乱した思考からは何も生まれない。

*思考の整理方法
 本書では、思考を整理し、創造的な知性を働かせるための著者なりの方法論が紹介されている。もちろん、PCが一般に普及する前の話だから、使ってる道具はずいぶんレトロだ。しかし、メモ帳がEvernoteやDropboxに、書棚がCloudに変わっただけで、本質的なところは全く変わっていない。本書で提案されている方法は、今においても役に立つものだと思う。

 しかし、思考の整理「学」と題を付けておきながら、決して体系的な理論や方法論が展開されているわけではない。こう言っては何だが、著者の言いたいことがまったく整理されていない(笑)。
 週刊誌か何かの連載をそのまま、まとめたかのような体裁で、記事は短い評論が続く。6章立てだが、その章立てもどういう基準なのか良く分からない。漫然とした記述で、重複も多い。先生、まずはご自身の考えをまとめてください、と突っ込みを入れたくなる(笑)。だが、著者からは、それは読者への宿題ですよ、と飄々とした答えが返ってきそうだ。

 というのも著者は本書の中で、すべてを教えてしまうことが、学ぶ者の知的意欲を殺いでしまうと述べているからだ。(漫然とした記述も意図的な戦略?、んなわけないか。)
 こうした纏まりのなさにもかかわらず、それでもこの本に価値があるのは、知識を創造的な活動にどうやって活かすことが出来るのか、という著者の考えに普遍的な示唆に富んだものが多いからだろう。

 読んでいて、なるほどと思わせるものが多い。

 例えば。。。

 ・考えは安易に披露せずに、自分の中で内圧が高まって噴出してくるまでずっと待つ。
 ・一時的な博覧強記は、創造的な知識を生むために必要な作業。
 ・知識は熟成させる必要がある。良いと思った考えも一晩経って見直すと失望する。
 ・対話は新しい知識を生むための最も基本的な方法。
 ・書き溜めたメモを不作為に取り出し、不規則に並べると新しい考えが浮かぶことがある。
 ・考えはその時にまとめておかなければ、すぐに忘却の彼方へ去ってしまって二度と帰ってこない。ともかく書いてみる。
 などなど。

 読者は本書を読みながら、著者のこうした示唆の数々から、自分で自分なりの創造的な方法論を見出していく必要がありそうだ。

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 

広告